「わたし、死が怖かったのよ」
生と死の前にのみ自分は平等なんだと、今、日々暮らしていて、これほどまでにわかるときはなかったのかもしれません
私自身、鎮魂のため、寺社仏閣で祈りを捧げたり、戦死された方への供養をと全国にある縁の土地で手を合わせたり、平和を祈りネパールを福島を歩いたりしておりました
平等なのに、なぜ
ある日の夕方、70代の女性の方から電話がかかってまいりました
「佳名子さん、わたし、わかったのよ」
この女性はご病気のパートナーを2年以上介護なされている方で生死の間をいったりきたりのパートナーへの祈りを毎日欠かさずされている方であります
不安な辛い胸のうちを介護が始まった頃からお聞きしておりました
頂いたお電話の声ははつらつとしていて、何か良いことでもあったのかというようなものでした
「コロナがわたしに教えてくれたのよ、病気になって、なんでこんなに不安で苦しまなきゃいけないのと、毎日思っていたんだけれど、そうじゃないのよね」
「みんな同じだったのよ、怖いのは一緒なの」
「わたし、死が怖かったのよ」
「だからこそ、変なこと考えてちゃだめなの。今、わたし、生きてるんだから!」
この電話を切って、ふと思い出した言葉がありました
「大悪は大善の来たるべき瑞相なり」
大悪なような出来事かもしれませんが、捉え方を変えると夜明けの前の藍色の薄暗い世界から刺す一筋の光明なのかもしれません
実際、ご主人の体調が良くなったわけでもなく、いつもと変わらない毎日のご様子でしたが核を掴んだその声はとても清々しく響いておりました
先日、ネパールの家族がインドからヒマラヤが見えた写真を送ってくれました
生産活動を自粛しているので空気が澄んだのでしょう
壮大な宇宙の善悪一如の世界に命は生かされてたりもするのかもしれません
Love&Peace!!
本日もご縁に感謝です🙏
お読み頂きありがとうございました
お会いできる日を楽しみにしております
0コメント