「結局はお金」
この言葉、少し寂しく翳りがあるのですが、いかがでしょうか
あれは私が小学1年生の頃でした
初めて一人でコンビニへ買い物へ行き
100円の消しゴムを買うために
レジへ並んだのですが、なぜかふと
「私の持ってるこの100円を誰も100円と信じてくれなかったらどうしよう、もしかしたら買えないかもしれない」
と考えたのです
大人であれば誰の100円でも100円であり、値札シールに100円と記されていれば100円を払えば買えるということをわかっているのですが、当時の私は私の手のひらにある100円を信じていなかったのです
ようするにこの世界の仕組みを信じていなかったのです
その後100円を払い、消しゴムが買えた時の喜びは、奇跡かと実感し、この世界の一員にでもなれたなというものでありました
実は私はコンサルティングの会社で働いていたりもします。約15年振りの慣れない名刺交換に日々苦笑いの連続であります
週に2、3度の出勤ではございますが、社会を動かす他者との出会いは毎度エキサイティングです
書類とコミュニケーション、プレゼン等の口頭約束で数千万から数億が動くのです
そして約束が反故されれば責任を取る
リアルでシビアです
仕事=お金=生活
そうではない世界の住人でありましたので、慣れるまでに時間がかかりました
なんとも不確かな世界だなと慣れてくればくるほど実感致しますが、シンプルで無駄がなく、とても興味深いやり取りを側で拝見させて頂き、学びの連続であります
仕事=想像=体験
実際はそうなのです。まだ何もないところから想像し創造し続けるのです
世界共通の集合意識「お金」は秤であります
「お金」に価値があると信じている、という前提の仕組みです
私たちは信じられないくらいに、信じる力があるのです
お金は人を裏切らない
想像にさえ対価は支払われる
時間はお金だ
信じなければ何も生まれない不確かな世界を集合意識というものは確かなものにするのでしょう
お金を信じているというよりは、お金を信じている他者を信じている世界です
やはり小学1年生の私が感じた「奇跡」はあながち間違えではないのでしょう。奇跡で出来上がった世界なのです
そして、他者が喜ぶものを、便利なものを、ありがとうと感謝されるものを想像し創造する
得られる対価は「お金」以上の感覚になるでしょう。それが「仕事」なのです
「結局はお金」なのですから、お金を沢山稼ぐことを目標としての仕事、他者への貢献を目標とする仕事、どちらが先でもよろしいでしょう、行き着く先は「=」になるはずですから
捉え方さえ知れば「仕事」は必ず誰かの為になっているものです
「結局は人」なのです
他者を慮る自分をぜひ労り、たまにはリラックスして、お休み下さいね
Good holiday!
新月おめでとうございます🙏
本日もお仕事ご苦労様です🙏
お読み頂きありがとうございます
お会いできる日を楽しみにしております
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