先日、超感覚の世界の話をとても若い女性としておりました
彼女は生まれる前からの記憶を持つ女性でありまして、若いのですが人生の玄人とも呼べるような達観した俯瞰視点をお持ちの女性であります
螺旋の層の間を股に掛ける祈りの達人であり他者の投影の達人です
私の最近の出来事を小気味良い相槌で笑かしてくれます
オカルトやん
マジでやばくね?
都市伝説?
目には見えない想念の世界の住人はファニーな方が多数です
とある出来事を時系列を追って話しておりましたら
「で、信じてくれない時ってあるよね、で、気づかせるために現実になるよね」
目の前にいる他者へどこまで介入するのか、私も稀に考える時があるんだよね、という問いに彼女はバッサリと伝えてくれます
「まぁさ、それは、その人が信じるのが怖いんだよね」
「怖さを感じたくないってことね」
納得の解であります
「信じたくない」わけではなく「怖い」だけ
経験のないこと、初めてのこと、受け入れ難いこと、信じれないのではなく規格外の「怖さ」を感じたくない、ただのそれだけだと
安心を得るために怖さを克服する無意味さ
怖さは怖さとして受け止める、ただそれだけで良いのではないかと
怖いから信じたくない
怖いからやりたくない
そこからなんでしょう
ビビりでチキンでもよろしいのではないでしょうか。何は超えてゆくのですし
私も相当なビビりであります
安心という平安は常に隣にあるのでしょう
怖いものは怖いということを体感を持って知る、初めの一歩はまずその位置です
やはり、超感覚の世界は一人では限界があり、全くもって面白さに欠けます
ほら、だから、やっぱり有難いんですよね
有意義な時間をありがとうございました
With love for everything!!
本日もご縁に感謝です🙏
お読み頂きありがとうございます
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