「あなたは人生の沢山の選択をどのように決めていますか?」
他者の話を聞くばかりで、質問をされることがほとんどないので、考えたこともありませんでした
私を取り巻く外側との全てが究極まで行くと、どうしよっかな、くらいに毎度思い、ま、いっか、と委ねてしまうので、果たして私は考えて何かをしているのだろうかと、質問を受けまして我に返りました
最近では選択のしようがないくらいに他者との、出来事との境界線がなく、時間の感覚もないので、委ねるしかないのです
これをやりたい、これが嫌だった、だからどうにかしたい、という思考は表面の言い訳だけで、核はもっと感覚的な体感を私に知らせようとします
ある一つの事柄にフォーカスしてみて、記憶にある感覚を辿ると、見えてくるものはありました
「有難さかな、一つの課題が終わる時に、そういう感覚が無くなるって言うと語弊があるんですが、広がる時に選択してるのかもしれないです」
私にも魂を研鑽するような沢山の課題が与えられています
それには沢山の他者や出来事との学びがあるのですが、一つの課題のある一定のラインを越えると、感情がいっさい無い「無」の状態になります
それは全て外側が教えてくれますので、限界までは有難いという秤を使い学ばせて頂くのですが、その時点での秤の目盛りが振り切れるのでしょう
その「無」の状態の少し前あたりから秤の目盛りが薄まるというと変ですが、限界を超えたお知らせが届く頃には次の課題へ進んでいたりもします
だからといって、それまでの他者や出来事が有難くないという感覚でもないのが、面白いんですよね
有り難くないと言っておりますが、私が記憶している「無」の感覚へ辿り着く道中のほぼ9割は心地よいものではなかったので(笑)
そして辿り着く頃には他者や出来事への私の思考や感情が「無」なので、益々他者の存在や出来事がはっきりと見えてきます
その頃には秤の目盛りが増し、他者や出来事へのフォーカスの角度が変わり、俯瞰視点を得、他者の存在、出来事の全てを受け入れるようになります
そうすると、必然と関わり方が変わりますし、益々有難いと思えるのです
どうやら私は選択をするという行為を繰り返し、有難さの秤の目盛りを広げているようです
今ある目盛りの限界値を超え、あらゆることを受け入れられる自分を目指してゆきたいものです
誠に有難いご質問に感謝致します
やはり、全てが有難いでしょ!
「あなたは人生の沢山の選択をどのように決めていますか?」
考えてみても面白いかもしれませんよ
Life is wonderful!!
本日もご縁に感謝です🙏
お読み頂きありがとうございます
0コメント