こんにちは
365日飲んでたお酒をようやく辞めれた最近です(笑)何年飲み続けたかな?よい学びでした
思考の欲している感覚と肉体のバランスが取りにくくなり、これでは、肉体が先に消滅だな、といった所です。限界値を知りました
捉え方を変えてこれからはお付き合いしようと考えております、、、(笑)
今日は「迷ってしまったら私にのみフォーカスです」というお話をしましょう
置かれている環境、他者の発言、未来への不安。それら一切は霧のようなもので「私」を多分に迷わせます、というか惑わせます、というか惑わされたい(笑)んでしょうね
迷い惑わされる事で鍛えられる部分はあるのでしょうが、「有難さ」がなければただの苦行でしょうし、しかも有難さがフラットなエネルギーでなければ飾りのようなものです
スポ根上がりの私はやはり苦行好きで修行が好きすぎるので、迷い惑わされる霧の中で「有難さ」を感じるまで能動的にやり続けるんですが、最近気づいたことは、「有難さ」って実際はすでにあるものだよね、という所でしょうか
そう感じるまでやりたい!霧を晴らしてやる!という凄まじい我欲に自分もびっくりな日もありますが(笑)凡夫なんで、致し方ありません
先日、有難さは技術ではないので、果敢に挑んでも仕方がないのにも関わらずよくやるな、という私を目覚めさせてくれた師匠に出会いました
最近、息子と海釣りを始めたのですが、ど素人の私と息子、何も知らないまま防波堤に糸を垂らしていました
ですが、はじめての体験に糸を垂らすだけでも楽しくて、しかも大好きな息子と2人で釣りって最高!という気持ちで終始バカな話をしながら大笑いしていたんです。そうですね、5時間くらいいたのですが1匹も釣れていませんでした
「釣れないねーでも、楽しいねー」と笑っていました時、後ろから「ここは釣れねーぞ」と声をかけてくれたご老人に出会いました
「なんだお前ら初めてか?よし、こっちこい」笑顔もなく、ぶっきら棒な声で呼ばれるままついて行きました
着いた所はご老人の釣りスポットです。「そこに立って、ここに投げてみろ」とご老人の指さした海面へ言われるまま竿を振り糸を投げました。リールをくるくる回していると何やらぶるぶると竿をつたってくるのです
最初の一投目で釣れてしまいました
「釣りは釣れなきゃ意味ねーだろ」
ついつい雰囲気、環境、他者、に重きを置いてしまう私にご老人は教えてくれたのです
目的にフォーカスすると全てが明らかにもなるんです
「おもしれーだろ?」
そうなんです。「釣る」のみにフォーカスすると、途端に面白さが増しました。息子がとか釣れなくても楽しいから良いよね、とかそんな事一切考えなくなり、潮目を見て投げる、巻く、投げる、巻くを繰り返す。明らかに「私」だけの空間に変わったのです
たった数分でこうも思考が変わるものだなという面白い体験をさせて頂きました。ただ馬鹿みたいに遊んでいても、気づきの「有難さ」はあるんですよね
「釣りは釣れなきゃ意味ねーな(笑)」
とてもシンプルで、核心です
ここ数年、夏至、冬至にバージョンアップを続けている方もお見えになるでしょう
実際は元に戻るという表現が合ってますでしょうか。私もその1人です
年を重ねるたびに、ゆっくりではありますが、なるほどな、と腑に落ちております
あるものを認める素直さがバージョンアップの鍵かもしれません
自分にフォーカスし、目的を捉え何に気づくのか。迷いや惑わしは気づきを見えづらくします。迷いや惑わしの霧を晴らすなら、面白い楽しい自分で目的にフォーカスする!!一番簡単で誰にでもできることだったりもするでしょう
技術の一つとしてオススメしますよ
せっかくなら楽しんで参りましょう!
よき師匠に出会いました
ご縁に感謝しております
さ、本日は夏至であります。おめでとうございます!満潮は15時です。師匠と息子と釣りの約束をしております。いっぱい釣れるといいな!
I'm grateful to all the people I've met!
本日もご縁に感謝です🙏
お読み頂きありがとうございます
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