こんにちは
またまた日にちがあいてしまいましたね
いや、むしろ、これくらいの更新が丁度よいのかもしれないと気づき始めました
最近は釣りを始めたり、バイクに乗ったり、祈ったり、忙しくしております
「全部自分の状態なんだね」
ある学生の女の子と話をしておりました。最近は10代の女の子のお話を聞くことが多いですね
学校、家庭、彼氏、将来、とにかく女の子達は優しいんです。それゆえの悩みが積もりに積もり、全部を一人で抱え込んで考えてしまうんでしょう
学生だから、子供だから、大人になればわかるよ、とか、そんなもんじゃない?とか、普通だよとか、問題の先延ばしをしているにすぎないでしょう
苦しさの芽を一緒に見つめて、どう捉えていけば彼女達にとってより良い栄養になるのか。良き伴奏者として、どんな些細な事も私は聞き続けていきたいと考えております
この世界は全ては連なるのですが、現時点で考え込み、涙が止まらない、動けないくらいの状態でしたら、連なりを解消し、ポイントを絞り分断させ、一つ一つを丁寧に解消していく必要があります
解消してから連なる流れに乗るといいますか、解消も流れの一つでしょう
数日前に17歳の女の子から電話がありました。母親と祖母のケンカを毎日見ていて辛い。二人の機嫌を取ることをしていたんだけれど、もう限界で、私はどうしたらいいのかと言う話でした
よくよく話を聞いて行きますと母親への好意と祖母への好意、育ててくれてるから、私も二人の為に何かできることはないのか、と言う真意が受け取れました
ですが、もっと深く探れば母親に祖母にいい子でいなければ見捨てられてしまうのではないか、と言う恐怖という核が見てとれるでしょうか
大人二人の意見のぶつかり合いを子供がどうにかできるわけないんですよね。まずは自分の機嫌は自分で取るしかないことを自分が知る必要があるんです
それは子供だからできないわけでもないんです。それさえ腑に落とせば2人がいくら揉めようとも母親と祖母の話であって、自分にはどうすることもできないと知ることが出来るでしょうか
他者の問題に介入できる事などほぼないです。もしあったとしても、やはり一過性のものですし、苦しい感情をやり過ごし、ホッとしたい、安心したいという感覚を一間だけ感じるだけです。そして、また同じことを繰り返す
2人の言い争いで、自分はいったい何をどう感じているのか、ここの核をしっかり見つめる事が苦しさからの解脱です
子供には無理じゃない?って思う方もお見えになるでしょうが、子供の方が気づきは早いですよ
その視点に立つと全てがはっきり見えるんです。母親も祖母もこの方が良いんじゃないか、というお互いの善意を話していただけであり、何かを貶めようとしているわけではないと気づく。見捨てられるかもしれないという恐怖は2人の愛に応えたい自分。捉え方で全てが変わるのです。大事にされてるし、大事にしたい
「なんか、大丈夫になった。自分なんだね」
そうでしょう、大丈夫なんですよ
また何かあったらいつでも電話してください
I support all the girls!!
本日もご縁に感謝です🙏
お読み頂きありがとうございます
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