ここ数日は
焦らない
先走らない
一時停止
という解を他者によく見せて頂いております
答えを急ぐあまりに駆け足に、勇み足になっている方が多数いらっしゃいます
「死ぬために生きている」
最近よく耳に致します言葉であります
そうかも知れませんし
そうではないかも知れません
私、個人的な意見としましては
生きるために生きたいですし
生かされてるから生きています
そんなに急いでも、解は変わりはしないものです。出来事の流れを良く見つめる癖をつけるとよろしいでしょうか
出来事を捉え、自分の内側を外側に出し変えてゆく時に自己責任という権利を発動させます
社会的な視点から自己責任という言葉を使用する場合、弱者を生み出すので、あまり好ましくはありませんが、自分発動としての視点から使用すると使えないことはないのかも知れません
この権利を使い自分が起こす出来事に他者を巻き込むのですが、それを忘れてしまうと焦りが生まれます
焦りの核は歪みであります。そして、その歪みは今生での魂の気づきのスイッチでもあるのですが、焦りのあるうちは見えづらいかもしれません
よくよく思い出すことです。自分発動であるのですから、慣れてくれば、出来事の行先くらいは他者に尋ねなくてもわかるようになってゆきます
焦らないこと
焦れば何もみえてきません
そして
死に急ぐ必要はありませんし
解を急ぐ必要もありません
今に全てが集約されているのですから
よく見つめてみてくださいね
焦らずとも解はいつでもちょうどピッタリ目の前にあります
So let's have fun!!
自己責任、私はあまり好きな言葉ではないので初めて使用しましたが、やはり圧がすごいですね。逃げ道なしの緊迫感がありますが、使い方でしょうか
本日は新月です、おめでとうございます🙏
ご縁に感謝です
お読み頂きありがとうございます
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