起こる出来事は同時に沢山の事が層のようになっています
老いて肉体がなくなるという時間の軸を中心に捉えれば、層を保持しつつ多少の隆起はありますが平坦な線を進んでゆくように感じるのですが、実は前後したり上下が移動したりというような、層を保持した螺旋を描いているのです
その螺旋の太さはその人その人の「器」なのでしょう。太ければ偉いとかそう言うことでもありませんが、太ければ振り幅も層の移動も大きいでしょうから、生きにくさはあると思いますが
螺旋を描くという前提である方がとても自然で無理が無いような気が致します
そして、その螺旋を人生と捉えてもよろしいですし、越えてゆきたい出来事にも当てはめて想像してもよろしいですよね
一つの出来事の「器」が溢れるまでやり続ける
これは私が幼い頃からの生きる癖です
体験すべき事を体験し、器が溢れると一切の感情がなくなるので、それが次へのサインとなります
そうなると外側の出来事への執着がなくなり、あるがままを受け入れ、自分の「中道」の位置をしっかりと腑に落とす事ができたりもします
そしてまた一つ層を移動し、体験すべき出来事を体験し、器を目一杯にし、という繰り返しを続けております。ただ、最近は展開のスピードが速まってるな、と感じる事が自他共に増えています
どうにかしたい外側の出来事も、どうにもならないという自分も、個々の差はあれども必ず行き着く「中道」の位置
「器」が溢れるまで納得するまで、やり続けてみてるのも一つの手段ですよ
層を保持した螺旋
もう少し形容の仕方がありそうですが、現時点ではこれが私の器でしょうか
Let's train our soul together!!
本日もご縁に感謝です🙏
お読み頂きありがとうございます
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