「0点のテストにわざわざ0点と書く意味がわからないです」
テストの加点制度
自分がどれだけできたかを測り
満点を目指し努力をする
本来点数は自分を測るものではないのですが、ここを捉え損ねると、自己評価があらぬ方向へ向かうのでしょう
小学校低学年までの点数制度、見直してもらいたいものです
私は実は小学5年生頃まで漢字を鏡文字で書いていた子供でした
どうしたって捉えきれないのです
算数もどれだけやってもちっとも理解できず、成績表は良くても五段階評価の「2」が毎学期ついていたものでした
なぜ勉強をしなければならないのか、というような疑問はなく、知りたいけど、理解したいけど、意味がわからないのです
意味がわからないって致命的です
そこへ来て、毎回20点の答案用紙を返されても意味がわからない上に点数の低さに愕然として、私って馬鹿なんだな、と周りと比べてしまったりもしていました
転機がありましたのは高校受験を迎えた頃でしょうか、普段、勉強に口出ししない父が突然
「県内一番の高校を受験しろ」
と言い出したのです
受験まですでに一年は切っていたでしょう
いや、待ってよ、成績知ってますよね?ってなりましたが、高校は義務教育でもないし、出資者に逆らうことはできないと腹をくくりました
しかし、成績を知る先生も周りの友人達も辛辣な言葉を投げてきます
学校とそう変わらない環境があるだろうと鑑み塾へ行くという選択肢も排除です
でも、やるしかないのです
私は根本を見直す事と致しました
「なぜ意味がわからないのか」
をまず理解しなければ、先へは進めません
私が囚われていたのは教科書の薄っぺらい情報量だったのです。物事の核を見つめる癖がすでにありましたので、ある一つの問題や解き方、その核をも掴もうとしてしまっていたのです
例えば、数学にしても、数字はいつから始まって誰が作ったのか、設定次第ではどんなやり方でも答えを出せるのではないかと考えてしまったり、問題の言わんとしていることにフォーカスしすぎて、使う数式を見誤ったり
国語ですと、物語の世界に入り込みすぎて、妄想が始まりましたし、説明文のような論文ですと、理解するまで読み下し、筆者へ想いを馳せてしまったり
これでは答えまでに時間がかかりすぎるのが当然です
そしてある一つの解に辿り着いたのです
「あるものに意味を持たせない」
これに気づけたのが幸いでありました
それからは、考え方を変え、やり方を変え、「あるものはあるがまま素直に受け入れる」という別視点の自分に思考を組み替えたのです
父の言った高校を受験する頃には成績もかなり良くなり、点の取り方を腑に落としたのです
ですが、腑に落としたということは器が溢れて、次の層を捉えたのですから、もう、こだわりがない状態です
受験日当日、なぜここにいるのだろう、終わっていることなのに、という私の無意識が顕在意識へ到達してしまい、全教科の回答用紙をほぼ白紙で提出してしまいました
父が亡くなった今だから言える事です(笑)
15歳のあの時、受験という目的に勉強という道具を使い、あるがままを捉える視点を得たことは、今の私の基礎となっている体験でありました
無茶振りがすぎる父にも感謝です
名コーチでしょう
実際、この世のすべては点数では測れないのです。学びを測るって、誠に滑稽ですよ
それぞれがそれぞれの気づく時が学びの時です。その時に何を使いどう達成し、限界を越えてゆくのか。その先に新たな自分の視点を得るのです
0点に意味はないですよ、生きてるだけで100点満点の世界です
自信持っていきましょう!!
Exceed the limit!!
本日もご縁に感謝です🙏
お読み頂きありがとうございます
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