「婚姻制度の意味がわからないです」
意味がわからないシリーズでシリーズ化しそうですね
先日の「0点の答案用紙に0点をつける意味がわからない」、その前の「謝罪の意味がわからない」の第三弾
意味がわからないことだらけで、楽しいですね
私は子供が出来ても、届けを出したくないと喚き散らしておりました。今から17年前でしょうか、当時23歳です。意味がわからないことを腑に落とすには体験するしかないんですよね
仕方ないので渋々届けを出しに区役所へ行ったのですが、それでも意味がわからなかったです(笑)
東京で一人暮らしをしていた時に第一子を妊娠し、臨月を迎え実家に帰省するまで一人でした。一人で妊婦生活って今考えたら大変だっただろうなと想像してしまいますが、特には何も感じてなかったんでしょうね
妊娠をした時に、私って生きていたんだと気づいた記憶があります。当時の私は社会生活もままならず、会社も辞めて八百屋でアルバイトをしていた時だったのですが、生きる意味が見いだせなかったのです
このまま行くと生きたまま死ぬかもなという全くの「無」でした
次の層を捉えた瞬間ですね。その頃はこの世界が層を保持した螺旋になっていると薄々は気づいていたのですが、現実にどっぷり浸かっていましたので見えるはずもありません
そんな時に妊娠した事がわかり、こんな私でも何かを産み出す事ができるなんて、凄い奇跡だと実感しました
でも、凄い奇跡と婚姻届がどうにも結びつかないのです
届けを出さずとも母子手帳は貰えてましたし、病院にも通える。父親が誰かもわかっていて、信頼関係もあり、金銭的援助もある
出す意味がわからない
このままでは産めないのか
しかし、周りの他者からは非難轟々です
所属を変えることで、次の所属先に果たして馴染めるのか。フレームを外してまた新たなフレームをはめるなんて、人は兎角に面白いものです
結果的には所属先には慣れましたし、むしろ死ぬ気で寄せました。子供がいるから出来たことでしょう
17年が過ぎて気づいたことは、所属先があるという安心感。これが婚姻制度の醍醐味なのでしょう
制度というフレームがなくとも安心感を得る事が可能な世界、そんな世界を私は望んでいたのでしょうね
今もあの頃とそう変わりはございません
多様な生き方があって良いのではないでしょうか。昨日良しとされなかったものが今日良しとされてしまう世界です。弱者救済の法ではありますが、ちょっと浪漫に欠けますし、本当に必要な人がこの制度を使えていなかったり、逆を言えば悪用さえできちゃいますしね
フレーム歴17年ですが、既存の「婚姻制度」は個人的に改善の余地があるなと言ったところでしょうか、多様化した生き方、生きやすさに合わせられるような制度に変わることを願ってます
Be free! Be happy!!
本日もご縁に感謝です🙏
お読み頂きありがとうございます
0コメント