Thanks!!



本日は鎮魂と感謝のお話を致しましょう


お寺という特殊な環境での私の日常の一部でしょうか





魂を宿した肉体に感謝をする
故人との出来事や思い出に感謝をする
葬儀はその意味が大きいでしょうか


昨今のお寺という環境は魂が肉体を離れてから縁が生じることが多いでしょう


葬儀も形式ばかりが重要視され、故人との一対一の対話が難しくなっているように感じることが多い現実があります


鎮魂と肉体への感謝。この二つを同時にするのが葬儀です。何より、見送る側の鎮魂が私は一番の大事かと考えております


見送る側、残された側が欠落したエネルギーをどのようにして生み出していくのか、または生前の双方に歪みがあったのであればその歪みさえも昇華し、亡くなられた方の想いをしっかりと受け取る


そのサポートをさせて頂く事が寺族としての現時点での役割だと考えております






2年前でしたでしょうか、自死者をお寺で弔う経験をさせて頂きました。30代後半の男性でした 


死に方の是非などあまり意味を持たないのだと教えて頂いた有難い経験でありました


自死を選択するということはそこに行き着くまでに複数の要因が折り重なり、そうせざるを得ない現実があったのでしょう。原因を見つめたところで何が変わるわけでもないのです


生前に会いたかった。お話を伺っていたかったなど、なんの足しにもならない、あるがままを受け入れる事しかできないのです






亡くなった当日、お母様から連絡が入りました。お寺で弔いたいと仰るのですが、ご遺体は検死をするため、病院にありました


無理は承知でしたが、担当の刑事さんと直接話をすることができ、お願い致しましたら、病院からご遺体をお寺へ運んで頂く事となりました。異例ではあったのでしょうし、違法なことだったでしょうが、担当の刑事さんが心ある方でしたので、出来たことでした。数人の刑事さんが運んできてくれました


お母様は旦那さんを既に亡くし、ご親戚もご高齢であり北海道にいらっしゃると伺いました。たった一人で見送るなんて、そんな辛いことする必要はないでしょう


ならば私がやれば良いと思うまもなく身体は勝手に動いておりました


葬儀会社に直接出向き、単品で棺桶を売って欲しいとお願いし、白木の棺桶、翌日の火葬場までの車の手配を致しました。
無駄を完全に無くした形です。本来であればこれだけで葬儀ができてしまうのです


無駄を完全に無くしますと死者の魂との対話に時間を有効に使うことができるでしょうか。特に突然の死ですと、残された側の混乱が大きく思考や感情もあらぬ方向へ向かう事が多いものです。後になってわかりましたが、この静かに向き合う時間、この時間が見送る側にとって、とても大切だったと気づかされました


「あなたにはちょっと生きにくかったわよね、よく頑張ったね」


「もう、苦しくない?」


「謝ってはだめよ」


「ありがとね」


ご遺体を前に静かな本堂内で対話をなされているお母様のお姿は自死を選択した事さえも正しかったんだよと伝えているようで、これが見送る側の在り方なんだなと気付かされた次第でございます


しかし、お母様自身も自死者の家族となったという現実にこの時点から向き合いはじめるのです。沢山の感情が溢れては消えて、また溢れてという状況なのは想像に難くないでしょう


寺族として、一人の人間として、私には何ができるのか。ただ寄り添い時間を共にする以外、検討もつきませんでした


翌日、葬儀を執り行い、火葬場から骨壷に収められた遺骨を持ち帰り、本堂で初七日の供養をし、無事に葬儀は終わりました





後日、知らない市外局番の番号から電話がかかってまいりました。お話を伺いましたら、北海道に住んでいるお母様のお姉さんでした


「突然のお電話で失礼します。あなたにどうしても直接伝えたかったのよ、あなた、言ってくれたんですってね」


「私が家族になりますって、言ってくれたんですってね、ほんとに嬉しかったって、妹が泣いて電話をくれたのよ」


思い出しました。警察の方が彼を運んでくれた時に、グレーのビニールシートに入れられた亡骸が「物」のように見えた時は一瞬の感覚ではありますがショックと形容できるものでした


次の瞬間、ふと、湧いてきたのです。肉体は「物」に見えるのかもしれない、しかし、この肉体を動かしていた魂にはまだ続きがある。人の死はここで終わりじゃないのではないか。現に今この時、「物」を通して彼と共に私もいるではないか


肉体が終わるけれど彼の魂は残された側と共にあり続ける。残された側も肉体のない魂の彼と共にあり続ける


寺族であるということはその両者がいつでも安心を投影し、委ねられるホームでなければならないのでしょう



「もう、出会ってしまったら、家族ですよ、一緒に見送った新しい家族です」





死に方は重要ではないんです
死を通して何を受け取り続けるかなのです
新たなご縁をくれた彼にはただただ感謝しかありません


彼の死は私の鎮魂ともなりました


2年前の本日、5月22日は誠の弔いに出会った記念の日です。この投稿を書き始めたのは彼が亡くなられた命日の昨日でした。何も考えず書き始めましたらこの話になっていて、彼とのご縁は今も尚、続いているようですね





「ヒデくん、出会えて感謝だよ!ありがとう!!」



See you somewhere again!!


本日もご縁に感謝です🙏
お読み頂きありがとうございます






































BENNU

メンタルセラピスト よろず相談屋です コンサルタント会社で 専属のカウンセラーもしております 2019年ネパールで魂との再会 お寺でお話を伺っております フリースタイルのセッション ビジョンを共有することが得意です 「Support your changes and choices」

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