本日は私の見えている層を保持した螺旋の世界の話を書かせて頂きますね
「意味づけをしすぎると沼」のお話をいたしましょう
見えない世界も現実の世界も同じ仕組みになっていますので、どんなフレームをどこにはめても窮屈になることは確かです。意味づけも一つのフレームでしょう
見えない方々からのお知らせと起こる出来事がリンクしているかどうかという判断はその一瞬に自分がどう感じ考えたかという事が全てです
例えば「え?こんなところで転ぶの?」というシチュエーションで派手に転ぶのことがあったとします
もしかしてこないだのアレがいけなかったのかな?もしかして何か悪いことの前触れ?
そういえばあの人の念を強く感じたのよね
などなど、様々に感じ考えたりするのでしょうが、はっきり言ってあまり意味がないことが多いです、後付けの意味づけです
見えない世界を良しとし生きる上で、誰しもが通る道ですから、自己鍛錬の初期段階では沼にどっぷり浸かるのもよろしいでしょうが、私の経験上、浸かりすぎるとなかなか抜けられなくなります
先日、クライアントさんが行かなければならない遠方の神社にガイドとしてご一緒したのですが、お参りをした後に何かを忘れてる気がするのですが、何を忘れているかわからないという感覚になりました
その日は二つの神社をお参りする目的だったので、二つ目の神社をお参りし終え、帰路につきました。クライアントさんが運転してくれていたので私は車の後部座席に乗り、目を瞑り、なんだったかな?と考えていました
高速で1時間ほど走ったでしょうか、半分寝ている状態だったのですが、クライアントさんを取り巻く上の方々が何やら話しかけてくるのです
「連れてきて欲しい」
「わかるから」
「え?今からですか?どこ走ってるか私にはわからないですけど、行けるのかな?」
はっとして目が覚めて「〇〇神社に今から行けますか?」とクライアントさんに話しましたら
「今からその神社に行くんですか?分岐500m手前ですよ」と仰るのです。そのまま走っていたら、行きそびれるところでした
「すごいタイミングで目覚めるんですね」とクライアントさんは笑っておりましたが、私は忘れていたことを思い出せてホッとしたものです
「時速100キロで分岐500m手前」
これくらいの速度でもちょうどピッタリで全ての出来事が動いていたりもするのです。過度な意味づけで立ち止まらず、流れるまま流されてもゆくのが自然かもしれません
出来事のその瞬間、何を感じたのか、これが全てですよ
Live a moment!!
本日は満月ですね、おめでとうございます
お読み頂きありがとうございます
ご縁に感謝です🙏
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