「来世の計画はもうすでに立てられていますか?」
2日前にある高僧様との仏舎利塔唱題ご祈念の後の会食で質問を受けました
「来世ですか、お上人様は来世もお坊さんとしてまいられますよね?私はどうでしょうか」と思いあぐねておりましたら
「私は来世はアフリカの地を祈る僧侶として、戻ってこようと思います」と仰られました
この高僧様は現在、ネパールのカトマンズで地元のネパール人の皆さんと仏舎利塔の建立の為ご尽力致しておられる方でありまして、昨年は九州の水俣にも建立されたそうで、秋には落慶法要式が決まっております
今生ではできなかった約束を果たす為に来世の目的を設定する
個人的に過去世を紐解く事は日常ですが、来世の設定となりますと、決めかねてしまいますね
仏舎利塔が水俣に建立されるなんて、夢のような話であります
私は小学生の頃から、水俣病について学んでおりました。欲深い人災の極みでしょう
水俣病は、チッソ水俣工場がメチル水銀を含む排水を36年間にわたって水俣湾に流したため、不知火(しらぬい)海沿岸で魚介類を食べ続けた人々に発生した大規模な有機水銀中毒事件です
いつか、この足で不知火海に謝罪をしに、病で亡くなられた方に祈りを捧げにいかなければならないと考えてはいたのですが、福島県に住んでいましたので、九州地方へ出向くなど、小学生の私には難儀でありました。しかし、月日は経ち、愛知へ嫁ぎ、数多のご縁が重なり、熊本震災の復興を祈る機会を頂く事ができ、水俣へ行く事となりました
娘は民謡の唄い手でありまして、私はその付き人としてお招き頂きました。今から四年前の春分の日を挟んだ5日間でしたでしょうか、ご縁ある熊本の四ヶ寺を巡るツアーでありました
鎮魂と祈りの唄を熊本へ
熊本には沢山の素晴らしい民謡があります。地元の方と一緒に唄えるよう、幼き頃の暖かい思い出を思い出してもらえるよう、唄い手の娘と準備をして伺いました
中3日目、休息日がありましたので、娘とは別行動を取りまして、私は水俣の不知火海へ出向きました。娘は熊本民謡「五木の子守唄」の地、五木村へ。ダム建設予定地でありました今は廃村となりました場所に立つ大銀杏を見に行ったそうです。この五木村も国と地方の在り方を考えさせられる場所であります。五木の大銀杏につきましてはまた改めて書かせていただきます
私は水俣の海をどうしてもこの目で見たかったのです
まずは水俣病の資料館へ出向きました。小高い丘に立てられており、眼下には不知火海が広がっています。中に入り黙々と記事を読み、写真を拝見させて頂きました。水俣病問題を時系列に丁寧に展示されておりました。私はというと、3.11後でしたので、故郷の福島に投影してしまい、心臓を抉られたようななんとも形容し難い感覚になったことを覚えております
展示の中程に作家の石牟礼美智子さんの追悼の展示がなされておりました。私がこの地へ赴く1ヶ月前に亡くなられたそうです
デビュー作「苦海浄土」 石牟礼美智子
水俣病を取り巻くすべてを詳細に記録しているノンフィクションです。ノンフィクションであるのですが、言葉の言い回しが詩的情緒を含みつつ、感覚に訴えるような言葉の連なりなのです。淡々と書き記されているのですが、その書き口にぐっとくるものがあります。ものすごいページ数ですが、是非読んで欲しい一冊です
石牟礼美智子さんが亡くなって幾ばくもなくこの地へ赴く。一人の人として、語り継がなければならない使命をほんの僅かに感じた一間でありました
その後、港へ出向き、小学生の頃にどうしても果たしたかった鎮魂の祈りをようやく果たす事ができました
キラキラと波打つ不知火海はとても美しく、薄青く透き通った海の中を魚達が悠々と泳いでおりました
「綺麗でよかった」言える言葉はこれしか見当たりませんでした
「水俣はご存知ですか?あの地だから仏舎利塔が立ったんだと思います」と、先の高層様は仰られました
「幼い頃から水俣にロックオンでしたよ、立ったんですね、私も嬉しいです」
「不知火海の海の石を地元の皆さんと集めて、一文字一文字お経を書いて奉納したんです。やはりあの海の石じゃなくちゃ意味がないので」
「そうですか、供養になりますね」
「法要式には閉じてしまい、全てが見えなくなります」
「では、法要式に伺いますね」
今秋、私は再び不知火海に出向く事となります。あの海の青さと歴史の苦しさをすべて受け取り、浄土へ繋がる鎮魂の祈りを捧げようと思います
来世へ繋がる今生での私の旅はどこまでも続くようです、もう暫くは来世の目的の設定はできそうにありませんね
Accept as it is.....
本日もご縁に感謝です🙏
お読み頂きありがとうございます
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