「意識拡大は縦横斜め、目の前の現実全てのツールを使う。これしかないですよ」
今でこそ私は大声で言えますが暫くは封印していましたよ。おばさんになったからでしょうか、年の功ってありますね
エネルギーを瞬時に循環させ行動する
思考視点は今いる層を全て包括する位置につきます
書き始めましたら、あぁそう言えば、と、思い出しました
「お前はお前以外を道具にしか思ってないんだよな」と中学生の私にニヒルな笑顔で話していた父の顔が浮かびます
「いや、そんなことは、、、あります、、、か?では、それでは駄目なんですか?もっと感情的に優しさとか有り難さとか伝えて欲しいですか?」
「俺はいい。わかるから。だけど、そうじゃない人の事を思いやれ」
「お母さんはそう言う人だ」
私が他者を排除する事のできない人とわかっての事でしょう、一番痛い所を突いてきました。「ツール禁止令」が出されたと受け取りました
無常だから無情で生きるのかと勘違いしていた子供時代は父以外の家族には辛辣な嫌味な奴に映っていたでしょう(笑)
無常だから今に生かされてるし
無情だから他者を思いやることもできる
そんな当たり前のことに気づくには随分と時間がかかってしまったものです
父の言いたかった事、今ならわかります
感情の素晴らしさも他者との魂震える幸福感も。ツールとして他者や出来事を捉える視点、というか、のせるエネルギーが全くもって酷かったんでしょう
「一緒に」と言う私の一番苦手な課題は肉体がなくなるまで続くのでしょう
本来は「一緒」と言うかシェアなんですよね。一緒と聞くと、同じ、とかそういったイメージをしてしまうので、合わせるとか歩み寄るとかそういう事をしなければならないのか、と勘違いをするんですが、他者と時空をシェアさせて頂いているに過ぎないんです
わたしには家族が一番良い勉強になる空間でした。「ツール禁止令」が出された頃から、「感情」にただひたすら向き合わされました
時空をシェアをしているだけにも関わらず、他者の発言や行動に振り回されているように感じる
「じゃあ、いいや」
「どうせ」
「仕方がないから」
と空間に投げつける
「ほんとはこれがいい」
「きっと」
「なんとかなるから」
って空間に投げても良いですよね
弱者で被害者で有り続ける事で得られる感覚には限りがあります
本来私たちは魂に素直であれば超絶ポジティブな生き物なのです。ただ、肉体をこの環境で守るために賢くなってしまい、他者との均衡を生きてきた経験と知恵で保とうとしてしまうのです。ニ次利得のエネルギーは無意識下にあり強固です
他者との均衡は存在しているだけで保たれているにも関わらず、自分を信じきれないのでしょう
生きている事に言い訳がいらないように、どんなことにも言い訳など無用です
目の前の全てを魂の核である感謝のエネルギーを使い、受け取り、余すことなく学ばせて頂く。意識拡大へ近道はありません
そう生ききる以外に方法はないようですよ
ツール禁止令(笑)なかなか良いご修行をさせて頂きましたね
Continue to challenge!!
本日もご縁に感謝です🙏
お読み頂きありがとうございます
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